宮沢賢治の名言・格言

宮沢賢治は日本を代表する詩人、童話作家です。
(1896年8月27日岩手県花巻市生まれ~1933年9月21日(昭和8年) Wikipedia)

注文の多い料理店や、雨ニモマケズといった作品は誰しもが知っているはずです。

今では非常に有名ですが、実は彼が生きている頃はあまり評価されておらず、ほぼ無名の存在でした。

しかし彼の死後、賢治の弟である宮沢清六氏や詩人の草野心平氏の苦労があって、残した作品が高く評価されるようになり、多くの作品が人々の目にとまることになります。

名言も多いことで知られる宮沢賢治はどんな言葉を残したのでしょうか。

宮沢賢治の名言・格言

宮沢賢治の名言・格言1 中道の精神

★どうも、ちょうどよく働くことほど、体に良い事は無いですな。

何でもない言葉のようですが、賢治が語ると重みが出てきます。

ちょうどよく働くとは、仏教的に言えば「中道の精神」でしょう。ちょっとだけきついぐらい、お布施をしたり、働いたりすることで「中道になる」とも言われています。

宮沢賢治は仏教者でもあり、体調不良に悩まされることが多かったのですが、農民や恵まれていない方のために、本人自身は「無茶苦茶に動き働いた」ことで有名ですが、

この名言には、全く働かなくて体たらくしている一部の人への戒めや、逆に、貧困のなかに働き過ぎていて休むことのない方に対しての気遣いも含まれているかしれないですね。

宮沢賢治の名言・格言2 幸福を味わう

★真の幸福に至れるのであれば、それまでの悲しみは、エピソードに過ぎない。

今が幸せなら、過去のことは、幸せに至るまでの良き思い出となるでしょう。どんなに辛いことがあっても、最終的に幸せと言えるなら、辛いことも幸せまでの過程に過ぎなくなります。

また、今の幸せをかみしめるならば、昔の苦労や悲しみは、春の雪のように消えてゆくでしょう。
そしてこの名言には、努力して頑張っている方への心からの励ましの思いも入っていますね。

宮沢賢治の名言・格言3 本当ことを語る

★自分が真実から目をそむけて子どもたちに本当のことが、語れるのか。

信仰者でもあり教師でもあった宮沢賢治は、自分自身を修羅(悟ってなくて迷った人)と言ったほどに、自分自身を厳しく見つめます。それは、嘘のない真(まこと)の心を発見するためでしょう。

「自分自身に嘘をつかない」ことを徹底できた人にだけ、物事の真実を見極める力がついてゆき、それが結局は、子供たちや生徒への真の愛につながってゆくのでしょう。

適当なことでごまかして子供たちに語ることを、賢治はとても嫌っていました。

宮沢賢治の名言・格言4 永久の努力

★永久の未完成これ完成である

努力して何かを成し遂げたと思っても、それは完成ではない。まだ先がある。まだまだ発展するものがあります。では、なぜ、それを「完成」と表現したのでしょうか。

そのひとつは、「変化にこそ完成がある」という芸術的観点でしょう。

もうひとつは、「小さな結果に満足することなく、常により良きものを追い求める姿勢にこそ、人間としての完成を見いだしたもの」と思います。

宮沢賢治は尋常ではないくらいの「努力の人」でした。それも、自分のためではなく、多くの人を愛するための努力です。努力を仏教では「精進」と言います。精進そのものが幸福があるとともに、仏教的修行としてのひとつの完成を現わしているのでしょう。

その意味で関連する名言をあげるならば
★求道、すでに道である。

宮沢賢治の名言・格言5 全世界への愛

★世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない。

もちろん世界全体が幸福になるまで、個人が幸福になってはいけないということではありません。個人の幸福の輪が大きくなって、地域の幸福となり、それが全世界への幸福へとつながっていくことが大切な流れといえるでしょう。

宮沢賢治は仏教以外にも、さまざまな宗教や学問も研究していて、そのなかでもキリスト教の愛の思想にも深く影響がありました(これを仏教的な慈悲の思想と解釈もできますが)

世界全体の幸福への関心(愛)がなければ、真の意味で、個人のまことの幸福はありえないと表現したかったのでしょう。

宮沢賢治の名言・格言6 人間の可能性を求めて

★僕たちと一緒に行こう。僕たちはどこまでだって行ける、切符を持っているんだ。

この切符とは人が持つ可能性のことではないでしょうか。人間には神の子・仏の子としての仏性・神性があり、誰しも無限の可能性を持っています。

宮沢賢治の名言・格言7 考え続けること

★ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。

夢や理想に向かって「考える」ことは大きな前進のための原動力です。考えることを続ける限り、物事は成し遂げることができます。その逆に、「あきらめる」ということは、きっと「考えることをやめること」なのでしょう

宮沢賢治の名言・格言8 行動すなわち愛はあるか

★優秀な人間は議論や分析が先行し、それで終わってしまうことが多い。行動に移さねば意味がない。

優秀な人間ほど議論や分析が得意ですが、行動しなければ意味がありません。

宮沢賢治は、その他にも、いつもサロンでくすぶっているだけの詩人や芸術家・批評家も嫌っていました。もちろん、様々な方との意見交換や情報取得も大事です。

しかしそこに留まるとともに、自分のことだけしか考えないで多くの方の幸福のために尽くさない人生を賢治は決して望んでいませんでした。

宮沢賢治のいう行動のなかには人のために尽くす「愛」の概念も含まれています。

宮沢賢治の名言・格言9  人の心を動かす

★人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ。

人の心を動かすのは実体験に基づく行動と言葉だけで、知識だけではどんなに博識でも人を共感させることができません。

人の心を動かすのは、知識や理性的なアプローチだけではなく、研ぎ澄まされた感性的な影響力や、実体験から磨き出されたその人の魂の光のようなものでしょう。

知識だけを詰め込んだ頭でっかちの人が、他の人を動かせるのではなく、経営者の松下幸之助氏のように、人を大切に愛し、その実体験から滲み出る力こそが人を動かすパワーとなります。

宮沢賢治の名言・格言10  今を精一杯に生きる

★我々ができることは、今を生きることだけだ。
★一つずつの小さな現在が続いているだけである。

当たり前の言葉にも思えますが、人は過去に戻ることはできず、未来はまだ来ていないので今を全力で生きることが大切ということですが、この名言の前提となる考え方を、もう少し掘り下げてみます。

仏教的思想のなかに、過去・現在・未来の三世があり、現在あるのは過去の思いや行いの現れであり、同じように、現在の思いや行いも未来世につながっているという因果の理法という教えがあります。

もちろん現世に限ってみても、この法則は当てはまります。ですから、「過去を悔やんでばかりいても仕方がかない。 人生とは今の積み重ねであり、 今よりもより良い未来を迎えることを願って、現在(今)を精一杯に真面目に生きることが大切である」ことを賢治は言いたかったのでしょう。

貧しさや苦しみに打ちひしがれている方を励まし何とか救いたいという、賢治の愛の念いに満ちた名言です。

宮沢賢治の名言・格言11  心の奥深くから湧いてくる思い

★無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐欺である。

宮沢賢治は、神秘思想や心理学にも造詣が深くて、ここでいう無意識とは、潜在意識のことでしょう。 すなわち、自分の心の奥深くからふつふつと湧いてくる気持ち意外は偽物だということでしょう。

宮沢賢治の名言・格言12  ほんとうの幸せとは?!

★誰だって、ほんとうにいいことをしたらいちばん幸せなんだねぇ。

宮沢賢治を一言でいえば、ユートピア世界を目指して謙虚な心で愛を実践した人でした。ですから、賢治の言う「ほんとうにいいこと」の中心は、「多くの人を愛し、愛を施し、愛を与えること」でしょう。

愛は人から貰うことばかりを願っていれば、心は幸福になれません。それとは逆に、人を愛し、人に施し、人に愛を与える方がずっと幸福です。人を愛する時、心の中に喜びが満ちてきて、その聖なる喜びが幸福の花として心に咲いてゆきます。

宮沢賢治の名言・格言13  賢治のパワーの源

★風からも光る雲からも 諸君にはあたらしい力が来る。

宮沢賢治は神様や仏様を信じている宗教修行者・信仰者でした。

風や光る雲の向こうに、賢治は目に見えない存在を感じていたのでしょう。神仏や天使や菩薩からエネルギーを貰って、きつと素適な童話が生まれたのでしょう。

名言の背景としての宮沢賢治の生い立ち

宮沢賢治は詩人や童話作家として有名で、その作品はよく知られています。

では宮沢賢治本人はどんな人物だったのかその生い立ちを見てみましょう。

・・作家になるまで

宮沢賢治は1896年、岩手県で長男として生まれます。

実家は古着屋と質屋を営んでいて、長男ですから家業を継ぐことを両親は期待していたようです。

小学生になる頃には読書が好きで、よく本を読んでいたといいます。

この頃に詩人や作家としての素養が育まれたのかもしれません。

19歳の時、農林学校に主席で入学し農業について学びますが、その後は東京の出版社で働きます。

しかし数年後に妹トシが病気になったと知らせを受け、岩手に帰り農学校の教師として働き始めます。

創作活動を行うのはこの頃からです。

・・若すぎる死

岩手に戻った宮沢賢治は、仕事をしながらさまざまな作品を執筆します。

彼は生涯、詩の創作や童話の創作を本業にすることはなく、常に他の仕事も平行して行っていました。

岩手に戻ってからしばらくは農学校の教師でしたが、30歳の時に教師を辞めて羅須地人協会というものを作ります。

農業の指導が主な仕事で、より良い農産物を作るために努力していました。

そんな仕事の合間にたくさんの作品を執筆し、世に残しました。

本業と執筆活動の両方を精力的に行い、ハードな毎日を続ける宮沢賢治でしたが、元々体が弱いこともあって、よく体調を崩していました。

そして1933年、彼が37歳の時についに急性肺炎になってしまいます。

この病気が治ることはなく、彼は急性肺炎が原因でそのまま亡くなってしまいます。

37歳での死というのは、今ほど平均寿命が長くない当時としても若すぎる死です。

しかし彼の死後も残した作品は愛され、高く評価されるようになります。

宮沢賢治が残したエピソード・逸話

最後に宮沢賢治の有名なエピソードや逸話をまとめます。

彼がどんな考えだったのかなどがわかり、より深く彼について知ることができるでしょう。

・・宮沢賢治はベジタリアン?

彼は法華経の熱烈な信者であり、動物の殺生を嫌っていました。

そのため肉を食べることは良くないことだと考え、野菜だけを食べるベジタリアン?になります。

「1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ」とう「アメニモマケズ」の一説は有名です。

・・レコード好きな一面も

宮沢賢治はレコードを集めるのがとても好きだったようです。

家には蓄音機があり、針にもこだわるほどの熱の入れようでした。

子供の頃は鉱物採集が好きだったという話もあり、何かをコレクションするのが好きだったのでしょう。

・・生涯独身だった

宮沢賢治は結婚歴がなく、生涯独身でした。

病院の看護師に一目惚れするなど、女性に興味がなかったわけではありません。

どうやら本人も長く生きられないと悟っていたようで、友人も自分はあと15年ほどしか生きられないと語っています。

実際に若くして亡くなりましたし、自分の命の短さを感じることで結婚を避けていたのかもしれませんね。

真(まこと)の幸福を探求し続けた宮沢賢治

宮沢賢治は教師をはじめ、さまざまな仕事をしながら多くの作品を残しました。

作品には彼の経験に基づく考えが盛り込まれており、宮沢賢治という人を表す作品が多く見られます。

彼の優しさや彼が考える幸せとはなにかが、詩や童話を通して感じられます。

37歳とあまりにも早い死を迎えてしまいましたが、残した作品の数々は今でも日本人に影響を与えています。

童話作家だったということもあり、子供にも通じる世界を表現し、世代を問わず楽しめるのも彼の作品の魅力でしょう。

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