坂本竜馬の名言散歩

坂本竜馬は、江戸幕府から新しい時代へ導いた重要な人物です。現代でも多くの竜馬ファンが存在します。

ほかの人と違う観点を持っていたことから、フレキシブルな対応ができた坂本竜馬。最後は暗殺という悲しい結末で人生を終えました。

幕末の明治維新の志士として活躍した龍馬の言葉や名言は、現代の私たちにも役に立つものばかり。現代に生きる私達にも勇気を与えてくれます。

また、人生に悩んだ時や、モチベーションを上げたい時などにも役立つ言葉を多く残しています。

今回は坂本竜馬の人生から生まれた名言をご紹介します。

そして、格言や名言をはじめ、さまざまなエピソードなどから、日本の明治維新という時代が生んだ坂本竜馬という偉大なる人物像にも迫ってみましょう。

竜馬の人柄や行動を詳しく知れば、自分の人生にも大きな影響を与えてくれるはずです。

数々の名言を残した坂本竜馬の人生

  坂本龍馬はどういう人だったのか、生い立ちから見ていきましょう。

・・幼少期

坂本竜馬は18351115日、高知県で生まれました。父は下級ながら武士であり、良い家柄に生まれたと言えます。

幼少期の龍馬はやんちゃで、喧嘩をして通っていた塾、今の学校を父に辞めさせられたという説もあるくらいです。

姉の乙女をとても慕っており、これからお伝えする名言でもその様子がわかります。

12歳の頃に母が亡くなり、 14歳から道場へと入門し剣術にも励みます。

才能があったようでぐんぐんと実力を付け、19歳の時には剣術修行のために江戸に行ったという話も残っています。この頃から諦めずに前向きに努力し行動する人物だったようです。

・・黒船の来航その後、

日本に黒船がやってくると龍馬はこのままでは日本は世界に勝てないと考えるようになります。 27歳になった坂本竜馬は、土佐勤王党に加盟します。しかし志のあるものが立ち上がらなければいけない」という教えをもらうと、土佐へ戻った翌月に脱藩します。

脱藩とは許可を得ずに藩を出ること。 わかりやすくいうと、パスポートなしで国外を出ると同じことで、犯罪にあたります。

それだけのことをしても日本を変えたいという強い意思を持っていたのです。

佐藩の手形を持つことなく再び江戸を目指しました。 ここで勝海舟の弟子入りを果たします。

勝海舟の私塾への入門、そして海軍の修行に励んだ坂本竜馬は、勝海舟の片腕にまで成長。勝海舟の使者として1864年には西郷隆盛とも面会しています。
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龍馬は日本中を渡り歩きながら、日本を変えるためにさまざまな活動を行います。代表的なものが海援隊でしょう。

1865年には、長崎で日本初となる「亀山社中」という商社を立ち上げました。

この亀山社中の組織を利用し、実現したのが薩長同盟。坂本竜馬が薩摩藩と長州藩の仲を取り持ったのです。

当時、薩摩藩と長州藩は犬猿の仲でした。仲を取り持ったことで、江戸幕府へのより強固な関係が築かれます。

海援隊の隊長として、薩摩と長州の同盟に尽力したり、長州藩の武力による倒幕を抑えたりと、その後の日本に大きな影響を与えます。

伏見の寺田屋に宿泊した際に、坂本竜馬は伏見奉行所の役人に襲われ、その傷の手当てをしたのが、のちの奥さんとなるお龍です。

二人は日本で初めてといわれる新婚旅行をしました。これは坂本竜馬の療養も兼ねたものです。

坂本竜馬の業績はこれだけではありません。 蝦夷(北海道)や島根県の竹島の開拓を考えたのも坂本竜馬です。坂本竜馬は、日本の領土や経済にも長けた人物でした。

長崎で立ち上げた「亀山社中」は、のちに「海援隊」と名称を変更。その隊長として坂本竜馬は就任しました。

そして龍馬はいわゆる船中八策と呼ばれる、8つの策を考えます。この船中八策によって大政奉還が起こり、江戸幕府は無血開城されることとなります。

大政奉還を裏から支えていたのが坂本龍馬だと言えるでしょう。

・・非業の死

日本の将来のために動いてきた龍馬ですが、 1867年11月15日、 最終的には京都の近江屋という場所で暗殺されてしまいます。

この時龍馬は33歳になったばかり、今の感覚で言えば若すぎる死を遂げたことになります。

暗殺事件については詳しいことがわかっておらず、1種のミステリーのような形で現在でも色々な説が提唱されています。

短い生涯ではありましたが、坂本龍馬がいなければ今の日本はなかったかもしれません。幕末においてそれだけ重要な存在でした。

坂本竜馬の名言は現代にも通じるものばかり

 坂本竜馬は江戸幕府から近代化への礎を築いた人物の一人。当時の様子がうかがえる名言はもちろん、現代の私たちにも心に刺さる名言が数多くあります。 それではテーマ別に名言を見ていきましょう。

当時の坂本竜馬の様子がうかがえる名言

西郷隆盛と面会したときの名言は、とても有名です。  

名言①:われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る

これは坂本竜馬が西郷隆盛と面談後に、勝海舟に伝えた言葉です。坂本竜馬は、西郷隆盛と面会したとき、よくわからない人物だとうたっています。 よくわからないといいながらとても褒めている言葉ですね。これを聞いた勝海舟は「坂本竜馬は見極める力がある」と称しました。

名言➁: 日本を今一度、洗濯いたし申候

親愛する姉「乙女」へ送った手紙に書かれていた言葉です。 本来の日本を取り戻したいという覚悟を決めた言葉。江戸幕府の膿をキレイに流すという意味で「洗濯」という例えが使われています。

坂本竜馬は、諸外国への興味が人一倍強い人でした。そのため、閉鎖的な日本を批判。また己の欲を優先する役人に嫌気がさしており、このままでは日本は衰退すると危機感を覚えていました。

新たな日本を作り上げたいという、強い決意がうかがえます。

現代にも通じる坂本竜馬の名言

坂本竜馬の名言を見ていると、時代が違っても人は考えることが同じだということがよく分かります。

また何でもそろう現代だからこそ、坂本竜馬の言葉は胸に刺さり、私たちも気持ち新たに行動していかなければいけないと考えさせられます。  

名言③: 疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく

司馬遼太郎「竜馬がゆく」に書かれている名言です。 日々仕事や勉強などに疲れていませんか?疲れがたまるとあらゆる思考能力が低下します。また疲れからくる焦りによっても本来あるべき素晴らしいことを考えることができません。

このことは坂本竜馬も当時から分かっていたようで、睡眠をしっかりとれば自然と前向きな気持ちになれて、意欲と自信が付いてきます。 今の生活習慣を見直す、いいきっかけですね。  

名言④: 人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ

こちらも司馬遼太郎「竜馬がゆく」からの言葉です。 地球上の生物で、人間だけが夢を持て実行に移せます。

坂本竜馬が言うように、大きな夢を持ってみませんか?今はすぐに叶わなくても、その夢が天下国家のために人々のために輝いているものならば、いつしか他の人々の協力も出てきて、次第に夢は成就する方向に動いてまいります。

せっかくならば人々の心を揺さぶるような大きな夢を持ってみましょう。いろんな可能性を信じて、挑戦していきましょう。  

名言⑤: 何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり

先ほどの名言と通じるものがありますが、志がなくだらだら日々を送っているのはバカげていると言っています。 志を持つことが大事だとうたっていますが、これは現代にもいえることです。

では志はどのようにすれば持つことができるのでしょうか。それは夢や理想やロマンがあるということです。多くの方の幸福につながるような高い理想を思い描いてみましょう。

だらだら日常を過ごして、のちに後悔する人生はもったいないことです。大きな夢を持ち高い志を持ちながら、努力して小さな目標の達成を積み重ねてゆくことで自信が生まれ、それが大きな目標へとつながっていきます。  

名言⑥: 時勢に応じて自分を変革しろ

時と場合に応じて、柔軟な対応をするよう説いています。これは今でもいえることです。忙しい毎日の中、突如変化する環境に戸惑う人も多いでしょう。

そのような場合に備えて、日頃から柔軟な心を持つことは大切です。 この柔軟な心を養うならば、今後起こりうるトラブルにも冷静に対処することが可能となります。柔軟な心を養うには、幅広い知識と経験と自分自身への真の自信が必要です。  

名言⑦: 俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ

社会において、議論が必ずしも不要とは限りません。坂本竜馬がいいたいことは、「人の生き方は変えられぬ」という部分です。

坂本竜馬が言う議論に勝つとは、理屈攻めで相手をやっつけるという意味もあるでしょう。そのような議論と説得とは違います。説得ならば相手を心から納得させることもできます。

しかし、たとえ正しいことでも議論で相手をやっつけた場合、相手の心にしこりが残ることになり、結果として、相手の考え方や生き方を根本から変えることは難しくなります。

坂本竜馬は当時としてはめずらしく、立場の違う人の意見もしっかり聞き、いいと思ったところはどんどん吸収する人間でした。そのため、彼には「議論する」という定義がなかったのでしょう。それが竜馬の人気の秘密のひとつです。

名言⑧: 金は欲さなくても人の器を見て付いてくるもの。世間の人にアッと驚かれるような大業を成せば、後は資金なぞついてきて自然と集まるものである

坂本竜馬は、大きな志を持って業績を大きくすればいずれお金も自然と集まってくるとうたっています。たしかに目先の収入だけに飛びついても、人間性が伴っていなければ、いずれ人は離れていきます。

その前にすべきことは、大きな夢を持ち、自分磨き、そして後世に残せるような立派な業績をつくるいうことです。人はお金ではなく、人そのものを見ている、その奥にある大きなロマンを感じて動いてゆきます。

坂本龍馬の格言・名言集⑨~⑱

★相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。

暴力的な言葉だけでは信頼は勝ち取れない、恨まれるようでは物事はうまくいいかないものです。坂本竜馬は人の心の機微にも精通していたことがよくわかります。

★事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

「智・仁・勇」は現代的にもリーダーの条件です。智とは深い知識、仁とは愛の心、勇とは勇気です。

★人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

失敗したと思えることでも、そこから教訓を取り出して、次に生かすことができます。何事も積極的にトライしてゆくことの大切さが根底にあります。

★世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。

世の中の既成概念であり一般的に常識とされているものであっても、真実なことではないもの、正しくはないものがたくさんあります。

今一度、白紙の状態で見てみて、真に正しいものは何であるかを考え、新しい常識をつくっていくことこそ、本来は本当の政治家の仕事でもあります。たとえば奴隷制度を変えたリンカーンの仕事も既成概念を破るという仕事でした。

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★人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。

ここで言う好きな道とは、自分の利益ばかりを考えずに、天下国家のために邁進してゆく「無欲の大欲」を持った明治維新の志士たちの道でしょう。

現代においても、自分の好きな道とは何か、それを問うてみて、それが世のため人のために通じる道ならば、勇気を持って邁進してゆくことが、世界を切り拓いてゆくことにつながるでしょう。

★おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。

坂本竜馬にとっては落胆している時間ももったいなかったのでしょう。うまくいかない時はそこから教訓を得て、次の手を考えてゆくなかに、成功への道が開けてまいります。

★万事、見にゃわからん。

百聞は一見にしかず。見ることの大切さを言っていますが、見ることに伴うものは「行動力」です。行動し、自分の目で見て、自分の心で感じ、心で考えて、そして動いていく。人から聞いて頭で考えただけでは、真実からずれていることが多くあります。

★偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

坂本竜馬には、本当の意味で人間を平等にみていました。相手の立場に関係なく、その方の優秀な部分からは積極的に教えを請うべきだという龍馬を象徴するような名言です。

★男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。
★俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ。

高い理想を掲げてもそれが単なる空想だけに終わってはなりません。高い理想は実現するためにあり、実現の仕方は着実に一歩を進めてゆく。命を賭して懸命な努力を積み上げてゆくことです。

★人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。

人の世を進んでゆく、大きな夢を実現してゆくためには、視野を広く持ち、さまざまな可能性を考えて、新しいアイデアで戦ってゆくことが大切です。

坂本龍馬の有名なエピソード

ここからは坂本龍馬のエピソードについて紹介します。

偉業を成し遂げた龍馬ですが、有名なエピソードは他にもあります。どんな人物だったのかを知るうえでも知っておきたいものばかりです。

・・姉が母親代わり

龍馬は早くに母親を亡くしており、姉の乙女が母親代わりとして龍馬を育てました。

とてもスパルタだったそうで、それまでやんちゃで末っ子気質だった龍馬の性格を直したのは乙女だとも言われています。

龍馬も乙女のことを尊敬していたようで、たくさんの手紙を送っています。

姉であり第二の母でもあった乙女を大切に思っていたことがわかるエピソードです。

・・勝海舟とは当初敵同士だった?

坂本龍馬と勝海舟といえば、同じ理想を掲げた同士というイメージが強いと思います。

ですが当初、坂本龍馬は勝海舟を斬る、つまり暗殺するために会いに行ったのではないかという説があります。

しかし勝海舟に説得され、その考えに共鳴し弟子入りをしたというわけです。この話は勝海舟が残した書物に書かれていて、現実味のある話と言えるでしょう。

人の話をよく聞き、偏見なく柔軟に意見を取り入れる坂本龍馬らしい逸話です。

・・日本で初めて新婚旅行をした

龍馬にはお龍という妻がいました。実はこのお龍との旅行が日本で初めての新婚旅行と言われています。

当時龍馬は寺田屋で敵対勢力に襲われ、両手を怪我してしまいます。その治療もあって鹿児島まで行ったのですが、お龍も同行していて楽しく過ごしたようです。

これが新婚旅行の形を作り、今でも新婚の夫婦が旅行に出かけるイベントとして残っているのです。

妻思いの龍馬らしい話です。

天下国家のために命を投げ出した竜馬

坂本龍馬は日本を世界に負けない国にするため、海援隊の設立や薩長同盟の交渉などで活躍します。

今の日本があるのは龍馬のおかげと言ってもいいでしょう。

そして、今でも多くのファンがいる理由は、 彼のブレない考え方、周囲を気遣い、天下国家のために命を投げ出した「志」に共感する部分が多いかと思います。

加えて、誰でも平等に扱い話を聞く性格が魅力的ということもあり、多くの人に影響を与えています。

彼のような生き方を真似て、人間的にも大きく羽ばたいてまいりましょう。