
吉田松陰は日本の思想家であり、倒幕のために尽力した武士でもあります。
日本史の授業を受けたり歴史に関する創作物をチェックすると、彼の名前が出てくるでしょう。
一般的には明治維新における精神的指導者であり、松下村塾という私塾を開いて明治維新で重要な働きをする若い人材たちに大きな影響を与えました。
彼が残した名言・格言には、今の時代に必要な実行力をもたらすためのヒントが隠れています。
様々な物事は激しく変動する今の時代を生き残るために実行力が欲しい人は、吉田松陰の言葉を参考にしてみてください。
吉田松陰の格言・名言集
Contents
- 1 吉田松陰の格言・名言集
- 1.1 吉田松陰の名言① 夢ある者となれ
- 1.2 吉田松陰の名言➁ 私心を排せよ
- 1.3 吉田松陰の名言③ 信念はあるか
- 1.4 吉田松陰の名言④ 人間の価値について
- 1.5 吉田松陰の名言⑤ 志を持て
- 1.6 吉田松陰の名言⑥ 至誠をポリシーとせよ
- 1.7 吉田松陰の名言⑦ 「時」を味方にせよ
- 1.8 吉田松陰の名言⑧ 過ちは改めよ
- 1.9 吉田松陰の名言⑨ 師弟関係の契り
- 1.10 吉田松陰の名言⑩ 読書する習慣を身につけよ
- 1.11 吉田松陰の名言⑪ 人はなぜ学ぶのか
- 1.12 吉田松陰の名言⑫ 断行せよ
- 1.13 吉田松陰の名言⑬ その志は本物か
- 1.14 吉田松陰の名言⑭ 固定観念を打ち破れ
- 1.15 吉田松陰の名言⑮ 魂をかけているか
- 2 名言の背景としての吉田松陰の生い立ち
- 3 ・吉田松陰の有名なエピソード
- 4 高い志で断固として道を開け
吉田松陰の名言① 夢ある者となれ
★夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
倒幕を目指し多くの若者たちに影響を与えた、吉田松陰。この名言の全体を貫くものは、夢や理想から出てくる「志」の強さでしょう。
吉田松陰の名言➁ 私心を排せよ
★私心さえ除き去るなら、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。
陽明学には心が私欲によって曇っていなければ、その本来のあり方が理と合致するという考えがあります。
吉田松陰の名言③ 信念はあるか
★だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。
自分自身の信念がしっかりとあれば、悪口と称賛は気にする必要はないということでしょう。
吉田松陰の名言④ 人間の価値について
★人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。
自分には何もないと消極的になっている人も、実は、才能という名の純金、愛深き人であるという純金、様々な純金という名の長所を持っています。
あるいは、仏教的に言えば、人間はみな、仏の子としての性質としての仏性(ぶっしょう)を宿している。そして長所を育んでいるという意味でしよう。
この仏性を輝かせるか輝かせないかは、その人の努力にかかっています。人々の仏の子としての性質こよなく愛し、その長所でもある才能を開花することに長けていた教育者としての珠玉の名言です。
吉田松陰の名言⑤ 志を持て
★奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである。
夢や高い理想から志は生まれてきます。志や信念だけは捨ててはならない、という熱いメッセージが込められています。
吉田松陰の名言⑥ 至誠をポリシーとせよ
★至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。
誠意を尽くして行動すれば何事も達成できる、という意味の名言です。 至誠 という言葉を人生のポリシーとすれば、大きな仕事ができるでしょう。
吉田松陰の名言⑦ 「時」を味方にせよ
★成し難きものは事なり、失い易きものは機なり。機来たり事を開きて成すは能わず、坐して之を失うものは人の罪なり。
困難な状況でも果敢にチャレンジしてこそ優れた「時」やチャンスが訪れます。また時を逃がさず積極的に行動してゆくこでさらなる道が開けてまいります。
吉田松陰の名言⑧ 過ちは改めよ
★過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。
何かにチャレンジして過ちがあってもそれ自体がいつまでも問題になるのではなく、同じ過ちを繰り返さなために改める姿勢や、その過ちから教訓を導き出して智慧に変えてゆくことが重要なのです。
吉田松陰の名言⑨ 師弟関係の契り
★みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。
吉田松陰には多数の弟子がいて歴史に名を残していますが、簡単な世間一般でいわれるような師弟関係を嫌っていたようです。求めていたものは志を共にして魂の契りを結ぶような子弟関係でしょうか。
吉田松陰の名言⑩ 読書する習慣を身につけよ
★今日の読書こそ、真の学問である。
今の時代は昔とは違い動画サイトやSNSなどのニュースもあり、新しい情報を入れてチェックすることもできますが、やはり本(書籍)にまさる情報量、情報の質はありません。読書する習慣を身に着けて、学問に励む姿勢を持ちましょう。
吉田松陰の名言⑪ 人はなぜ学ぶのか
★学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。
人は何故学ぶ必要があるのか、ズバリ、その答えとなる名言です。
吉田松陰の名言⑫ 断行せよ
★決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。
逆を言えば、できるかできないかを考えているうちは、本当の決心や決断ではないといえます。本当にやるべきことなら、断じて進んでゆくべきです。
吉田松陰の名言⑬ その志は本物か
★志定まれば、気盛んなり。
志があれば自ずとやる気が出るようになり、その志は叶う方向に進んでゆきます。「志」は大切なキーワードであり、その純粋性や崇高さが問われます。天下国家のために命を投げ出した明治維新の志士たちの志を少しでも見習いたいものです。
吉田松陰の名言⑭ 固定観念を打ち破れ
★諸君。狂いたまえ。
狂うという言葉をネガティブにとらえるのではなく、常識や固定観念にとらわれるなという意味です。坂本竜馬さんも「日本一の馬鹿者となれ」と言われていました。真実を見抜いた馬鹿者の集まりが明治維新を成し遂げてまいりました。
吉田松陰の名言⑮ 魂をかけているか
★世の中には体は生きているが心が死んでいる者がいる。反対に体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても仕方がない。魂が残っていればたとえ体が滅んでも意味がある。
倒幕のために命をかけた吉田松陰、その不屈の精神力が伺える言葉です。吉田松陰先生はじめ明治維新の志士たちの魂は現代でも生き続けていて、現代の世相に対して、適格に雄弁に語りかけていることかと思われます。
名言の背景としての吉田松陰の生い立ち
吉田松陰が開いた松下村塾からは明治維新後の政府の中心メンバーが複数存在するようになります。
松陰は実質的な明治維新の最大立役者であり、幕末の武士にとっては神様のような存在だったようです。
漠然としたイメージはあっても、彼がどのような人物だったか詳しく知らない人もいるでしょう。吉田松陰という人物について、その生い立ちを簡単に紹介しましょう。
・・幼少期の吉田松陰
5歳のときに叔父である吉田大助賢良の仮養子となり、吉田家を継ぐこととなります。
まだ子どもだった彼はそのころからスパルタ教育を受け、学問を叩き込まれることになります。
・・対外思想を持つ
大人となり精力的に活動することとなった彼は、西洋の先進文明に心を打たれました。
外国留学を決意するのですが戦争の影響で叶わず、しかし彼は対外思想を持つようになります。
・・松下村塾を開く
安政4年に叔父が主宰していた松下村塾の名を継いで杉家の敷地に松下村塾を開き、弟子たちを育てます。
吉田松陰が一方的に教えるのではなく弟子たちと意見交換をしたり、登山や水泳などのイベントもありました。
彼の私塾は生きた学問と言われており、初代総理大臣である伊藤博文も松下村塾で学んだ1人でした。
他にも山県有朋や山田顕義、高杉晋作など日本史の教科書に登場するような人物が弟子だったのです。
・吉田松陰の有名なエピソード
数ある吉田松陰のエピソードの中から、有名で印象的なものを紹介します。
打倒幕府のために命をかけた彼は、どのようなエピソードを残しているのでしょうか。
・・ペリーからも認められた!?
鎖国の日本に開国を迫ったペリーは、歴史の教科書に登場する有名な人物です。
実は吉田松陰は艦隊に乗り込み、ペリーに密航を懇願したのでした。
立場上アメリカ側はそれを断るのですが、ペリーは吉田松陰の知識欲の高さと礼儀正しい態度に驚いたようです。
アメリカ側は彼を幕府に引き渡す際、寛大な処分を申し込んだと言われています。
・・メモ魔だった
吉田松陰は数々の格言や名言を残し、それらがまとめられた書籍なども発売されています。
実は吉田松陰はメモ魔だったと言われており、何でも書き留める癖があったようです。
友人に手紙を書いて送る際も、複写して書き留めておいたというエピソードが残っています。
彼の名前が未だに有名であり創作物のモデルとなっているのは、残された言葉の多さによるものかもしれません。
・・火事では自分よりも他人の荷物を運び出した
ある家に泊まり込みで勉強していたとき、その家が火事となりました。
しかし吉田松陰は家主の荷物を運び出すのを手伝い、自分の荷物は持ち出さなかったのです。
一家の主であれば大切な物は多いがそれに比べれば自分の物は大したことはない、という理由でした。
高い志で断固として道を開け
海外に夢を見てアメリカの艦隊に乗り込んだというエピソードから、吉田松陰の実行力は凄まじいものがあると言えるでしょう。
当時、彼の言動や思想は過激であり破天荒で危険視する人もいたようですが、その後の日本に絶大なる影響を与えました。
自分の利益になることばかりを考えて、志なく、日和見主義の政治家や指導者では何も変えることはできません。
今の時代も同じく、天下国家のためになる、高い志のあることならば、周囲からの声や評価を気にすることなく、断固として道を突き進む姿勢が極めて大切でしょう。